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 僕は仏壇に参る容子が又、世紀の大発見したことを迷わず称賛する。それは些細なことだが重要なのだ。マッチだ・・・。それが無くなって蠟燭に灯が灯せない。今夜セブンイレブンでマッチは買えはするものの、今、欲しい!!仏壇の上の布地をめくり最下位を見る。上等な未開封の贈り物があって開けて見る。御線香でも相当高級なのだろう。香りが全く違う。本当にこれが黄泉の国の匂いでは?という位の孤高さなのだ。しかしそれでもマッチは入ってない。日常のヒトコマに過ぎないが彼女は逃さない。なぜ、マッチしかダメなのだろう。自問する。ライターならテーブルにあるのだ。マッチの方がマッチングするし、シュっというあの音だろう。だからマッチで擦って蝋燭の火を付けたいけど、思うように運ばない。彼女はこういう贈答品になぜ、マッチが入らないのか?をまず検討する。火が付くから?トラックで引火?宅急便の人が危ないから?全部がノーだ。線香屋が気が付けなかっただけの話。お線香にマッチは付きもの。この概念でこれからは市場が動くだろう。時代の最先端を行く容子ではない。しかし誰もが見落とす観点をすかさず拾える。僕はそういう容子がなぜ、今あるのか?に及ぶ。恐らくレシーブだ。どこにボールが飛んで来るかは予測出来ない。しかし獲らないといけない。だから容子のバレー脳が磨かれた。スポーツ会運動系を絶対に馬鹿に出来ない理由はここにある。