符合論はそれに敏感になればなる程、自分の身について来ます。私が大阪万博に行くというとき、母は猛烈に抗議して、行かせまいとした・・・でも結果私は自分の意志で行くことを決めます。伯父さんにもう一回会いたい!!二人いる女子の従姉の会ったことない一歳下の彼女に会いたい!!という気持ち。万博に行くのが伯母ともうひとり、知人の娘さんも一緒だったからです。伯母と二人なら行ってないかもしれません。私はその頃ある悩みを抱えていたのです。中一で一回始まった生理がそれっきりで終わってしまい、とうとう中二になる。ちょうど万博の頃もまだ、生理はなく、それを母は指摘してどうしても行くの??って最後まで嫌がっていた。しかし母親の本心を私は見抜いていた。そんなに長く、一週間以上も他の人たちと寝食を共にすれば影響受けるのでは??っていう母の憂鬱です。むしろいろんなことを感じ取りたい気持ちが旺盛だった私・・・。最後まで嫌がった母を制するのです。この時、自分がやった行為はもしかしたらワガママだったかも?って。母はもしも何かあったら?ってそこまで配慮していたに違いない。この子は本当に長旅でみんなに迷惑掛けずやっていけるのか?日常生活はそつなく回ってはいるものの母としてはまだ、合格点をやれるに至ってなかった?その辺での母の心配ですよね。符合論はいかに生れたのか?ってみんなが思う時、ここは参考になる。それは旅行の日時設定です。こういうものはおいそれとは出来ない。伯母に屈したのもすでに切符を買ったという熱意が母を動かしたと思うのです。