ルビー・ウーマンr254 私が符合論をしたためて行こうと、そう見切りを付けられたのは見切り発車ではないのです。こういう運命を皆が皆持っているものなのか?そこを確認するには符合論に及ぶことでしか、埒も開かないとそう結論が出たからです。運命は偶然なのか?を誰もが、それはほぼ偶然さ!!と答えるでしょう。私も幼い頃はそういう論拠のもとにいたのです。しかし、不思議な光景を目の当たりにして思い当たる節が出て来る。なぜ、一期一会という四文字があるのに、自分にはこうまで再び出会い候があるのか?これも偶然、あれも偶然って、看過出来るスペース自体の脳内確保が難しくなっての符合論の展開で、もしも私がそれを立証すれば、そういったことに気が付くこともなく日常に混在していた人々の心が、すっきりするかもしれない。解くべきは今を置いてはないという明瞭な転換期を迎えている。このことは、私の人生をクリア出来るだけにとどまらず、多くの謎も同時に解明されるでしょう。その位置に自然に自分が今収まって、ことの全容が果敢にも見え始めたからです。父や母の論争がないなら私は泣いて微笑むだけの赤ちゃんで終わっていました。苦脳の修羅場が私を戦災女児にしたのです。何も心配のない家に生まれながら、私を差し置いて、彼らは論争を繰り広げ私の脳に影響を与えた。このことをまず話しておきましょう。