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 私はペンダントトップに似合うチエーンを浦上の前田質店に求めに行きますが欲しいと思ったものは喜平は六万出さないと購入出来ず、四万クラスで収めた。長女の誕生日が控えているのです。四十歳というと、節目で、私のその頃も思い出す・・・。私は三十五歳が分岐点だった・・・。しかし普通多くの人は40代になるとき、その大台に乗る時に、沢山のことを一気に思うもの。きっと今までアラフォーって呼ばれていたその環境から見事に脱していくのは見えている。私達は子育てを重要な仕事として捉えた専業主婦。そして働く主婦。そういうのを踏まえていくとなぜ、私が年金問題にこれほどまでに周到になるのか?Pと籍を入れた1987年、そして知り合った1986年位に鍵があるのです。この年、何が起こったか?年金を専業主婦でも掛けた形になる仕組みが整って時代はそこで専業主婦を一旦取り込むのです。こういう厚遇がありながらPなるは肝心の私を会社に届けない。それで、四年はこの恩恵を取り零すのです。終わったことをグダグダ言う積りは毛頭ない。しかしPは今・・・逞しい構想抱くだけにその思いを反映することも今後は必須になる。今の年金制度は企業が半分支払う形。企業は実は苦しいのです。それなら全く異なるビジョンを創出しないといけない。小さな企業であっても着手が出来る、そして掛け年数でも長いだけ徒労だと私は踏む。脇田大佐は一年足りず、年金が下りなかったと聞かされている。肝心なことは何か?身につまされる。沁みる。Pのお父さんも実はそうだった・・・。たった数か月足りず全く年金を貰えなかった。まずそこを鮮明にしないといけないのです。