モラルを言う人々は、それがまっとうだと高を括る癖がある。僕はもちろんモラルは大事だとは思うが、もっと先を見ているのが天才バリアにいる人々だとしかと観察している。天才の一言が国を変えてしまう。それに気が付くのも僕がファッションに少しだけ足を踏み入れてしまったからだろう。しまったという言い方では全く合ってない。足を踏み入れて行ったイキサツはもちろん僕がファッションが好きだったこともある。コーディネートだ。この術を恐らく平凡な人は分からない。組み合わせがあるのだ。食にもこれとこれを食べると腹を壊すというような×組み合わせはある。それが肝心で、ファッションの分野にもあったが中々構図として見えて来なかったことが分かりにくくさせた。僕はそれなりにどうすれば自分が見栄え良くなるか?では動かなかった。最高のコーディネートの裏にあるのは構成術。これは文章にも同じことは言えるだろう。最初から結論をぶちかます論者もいれば、おずおずと少しつ”つしか吐かず、それでも正解へ導きうる論者。僕達はもう誰でも信じるという訳にはいかない。妄想へは導かれない。撥ね返す力を付けた・・・とそう自負する。ただ、言葉が出ない。説得力や弁論力の域になる。違うぞ?とか合ってるじゃんは直感で分かる。それだけが命獲りだろう。今朝は命を頂くをこう表現し、したためよう。命獲りだ!!いい意味で僕が今日から使う。