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 もしも自分が参加していなかったら?って里子は人生という脚本に自分は必要だったんだな?って思う。このしっくり感は何物にも替え難く、何の為にブログと出会ったのか?そこも少しずつ分かってきた。里子の普遍性です。どこにでもいる一主婦、特記すべき事項もない平凡な主婦里子が必要となっている。そこがさらなる感動を呼び起こす。日本のみんなが当然大きく舵を取り損なったのはその辺だろうって。優秀な人物は山程集まっても一歩も進めなかったのに、何の勉強も積んでない里子の意見をもしも世界が必要とするのなら順調な滑り出しだろう・・・って。今までそこを勘違いしていた里子です。優秀な特別な人々に世界を任せてもいいなって丸投げしていた自分の態度です。安易過ぎた・・・。しかしやはり、口を酸っぱくして言うまでもなく世間や世界がそこに着眼して来たことが、もう何も自分が言う必要もなくなっている場面でもあるな?って。素麵を引き締めるときの水のシャワーの役目を果たしたことを嬉しく感じるのです。ヒントにはなったでしょう。そして人という個々の存在が世界を救うチャンスの球〔ボール〕を握っているという幸せです。ごく近くに居る人なら逆に気が付かないけど、遠距離にいる人々の方が里子を見つけ易い。恐らくここに情報の秘密も確約も眠る。情報というアメーバはそこを塒としている・・・。今日のアマゾンエッセイ、あまぞえでコンビニを舞台に紐解きましょう。情報は速いのではなく果てしなく遅いというトリックです。そして遅い程に確実だということです。