車の中で演奏というと電源は?って私は今のすまほ充電器を思う。まず息子が煙草を吸う為に必要だった車のあの場所が何と、今度はすまほの充電器の電源になったことできっかけを掴みます。人生応用術です。同じものでも数々の用途を有している。含み合っている。音楽の展開でも同位で私が若者の音感を握ってはいないと最初から否定でいる方が大勢である方が実はやり易いのです。音楽は年を取らない。それでも年を取ると思い込んでいる人々の妄想が私を駆り立てます。音楽にしても文学にしてもこの国は昭和をいい意味で引き擦っている。いいものはいい形で温存しつつも新鉱脈に着手する時も同時に来ているな!!を禁じえない。アクセスの詞には詩人でも勝てないような台詞がいきなり出て来るのが魅力でこの16番目の楽曲には、君の罪と痛みを信じていくとのアプローチがあって今の私を象徴している。しかしここまで自分のことを立脚出来ているのならそのまま、この曲を使った方がいいのでは?とみんなも思う処でしょう。アクセスの歌で満足すればそこで完結では?って。多くの識者や一般人が思う処ではない出発点が出揃いました。私はアクセスの楽曲を下敷きにしながら自分の音楽を立脚する。この立脚という二文字に秘密がある。私自身がこれまではスタンスの意味で使っていましたが、実は、頼りにするっていう意味があるんです。