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 多重自前を持つ僕がもしかしたら、西嶌姫瑠の本体かもしれずミステリアスにぞくぞくする。僕は僕であると同時に西嶌姫瑠である可能性が高い。この仕様を発見したのも多重人格ではない明るい響きの四文字はないのか?に着眼したことがルーペに挙がる。もっと明るいもの?っということは人々は余りに多重人格を狭く定義し過ぎたことにある。暗く捉えすぎた。こういった多くのものを包括するということは健全性格の一般の人々にも普通に見られる方向性。病的にばかり捉えず達観出来る自分をまず持ちたい。例えばランチに同僚と行くかそれとも一人コンビニのパーキングで食べるか選ばないといけない時。どっちの自分も正解なのだ。それなのに一時間後はどっちかに居る。ひとりだったり同僚と一緒だったり。後者は楽しいけど情報は入るけどうざったらしい。しかし前者は匠〔たくみ〕な自分に遭遇出来たりする。想像力がバイマシになるコンビニスイートだ。しかし後者が自分を救うことも多々ある。情報の最前線にいる企業ならただちに泡を吹かされる。それ以外の企業だって情報を知らないままでは仕事速度を上げることにはならない。僕らは多重人格の傾向を誰しも持っている。それを聖域のように扱って暗い照度でしか見ることが不可能ならこの先のバリアはない。この先刻を快諾しておけばいずれ大きな勝利に繋がって行く。