僕は母を敬愛していたし、母がもしも亡くなってこの世に形も無くなるのならその先にある僕の人生には意味などないとそう思っていた。それ位、母がいの一番だった。しかし世の中こっちが思うようには心が反映されないし投影もなされない。母が亡くなって父の無駄使いはなお一層目立っていく。これは僕の両方の目の上のたんこぶになっていく。これは父の年金だから誰もあれこれ言う権利はない。理性では解っていても腹が立った。父の年金を僕が私物のように捉えていた節もある。一日に幾ら位が必要だと思いますか?ケアマネージャーの質問に父はのうのうと答える。僕は一日五千円は必要です!!同席してそこに居た介護士全員が目を丸くする。妻を亡くして普通なら外出も控え、食事も喉を通らないといった風情なら分かる。しかし父の答え方はある種異様だった。五千円を一体何に使うのですか?父はイケシャーシャーと答える。僕は車を運転しないから浜ん町に行って帰る往復のバス代やら電車賃やらで千円近くは掛かるんですよ?と。僕はここまで面の皮の厚い男をかつて見たことがない。節約家の姉の夫がふ~~っと目の前に飛来し僕の心を捉える。父と同じ金銭感覚にない自分がなぜ、預金を短期間で失ってしまったか?これから老後を過ごしていかないといけない人達には役に立つ。僕は倹約家のはしくれとしてこの件を見過ごしてはいない。要は太っ腹になって毎日を快活に過ごしてみたい本能が僕にあったということだ。