am70

 〔俺〕と自分を呼称ながら進むのはこのコーナーだけだ。誰が駆逐した訳でもなく僕自身が俺を撤回したり放棄して来た過去がある。僕の方が随分聞こえもいいし見栄えもする。だから僕はこのボクをとことん信仰するし、今後鞍替えは許されないとまで思う。しかし俺にも未練がある。この〔俺〕を捨ててしまうと大事なものが見えなくなってしまう気がしてならない。大事なものって??一体なんなの??俺は毎週寅さんの映画を土曜日に観て心のぬくもりを保っている。しかし昨夜放映の竹下景子マドンナの作品がいまいち理解出来ない。数ある寅さんシリーズの中でも結婚する本命と言われるものだけに俺にも分かる。寅さんの本当の心が訊きたい気持ち....。しかし山田洋次監督に訊く方が解り易いしてっとり速いのかもしれない。俺はしかしあえて寅さんに訊きたい。本当の迷いがどこにあったか?という一点。竹下景子が演じる女性はお寺の一人娘で出戻りで子供は無い。もしも寅さんがお坊さんになる修業をしてなれる見通しがあれば二人は一緒になれたし、それを寅さんも真実望んでいたのだろうか?確かに近所の御寺に修業に行き三日でダメになった寅さんという描き方で終わったが、笠智衆さん演じる寺主が真剣に怒っていたあの表情を見ると、根本的に寅さんには向いてはいなかったのだろう。しかしだ。竹下景子が演じる女性の父親になるお坊さんはタイプがガラっと違う。カタブツでも内実が異なる。だからこそ希望はあったと観測する。俺は結婚の真髄をこの編に見つけた。そんな所まで観客に想像させてしまう作品としての「男はつらいよ」が結婚観を裏付け定義付ける。