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 575ではなく、自分は57577の人間ではないのか?ここで見極めを間違うか、それとも順路に戻れるかは、非常に重大でひとつの執念場にも匹敵で里子は正念場とは全く内容の異なる執念場を 平成の最後の三文字として啓上したいと思うのです。今までなら何に対してでも自分はこう思っていたこと。どちらかが、身を引かないといけないとき間違いなく自分から身を引くだろうし、実際引いた。しかし、その態度は相手から言う処の正念場をクリアはしていても肝心なものを除外している。人々が普段から温存しそれぞれのパーソナリティーを標榜している個性の大元。灰汁が強いとか、淡白とか評価は別れ、そこは絶対譲れない双方の位置付け。大いなる自信の源は31文字にあって、言い足りなくていつも後から後悔したり、その場凌ぎをしたり....。しかし、最初から31文字にしていればすべてがコンプリートで踵を返すのです。私は恋の概念に拘ろう、そして、不滅の恋とその執念をつまびらかにして行こう。誰もがかつて、恋を紐解こうと躍起になったように、恋という魚をまな板に挙げよう。それは、過去であっても、充分通用する。恋とは執念深いものだから。