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 海には満ちるとき、引くとき、その両方があって均衡が保たれている。いつもかつもそれは人間の目に解り易い形で映ってきたことが麗しい。海が朽ち果てるというときはどんな場合を言うのだろう。海の専門家でもはっきり分からないのは地球の寿命でしかしそれは単に、自然の美しさを保つのみに偏ってはいまいか?僕達の地球の余命を真剣に考える時も同時に来ている。地球にとっての最善を論議するのなら、いつもいつも核の論点だけにはとどまらない進展が欲しいものだ。平和の定義そのものも流動化していることに重きを置きたい。例えば核を持っていてもそれを抑止力として方向性をひとつにして、今日が築き上げられているとすれば、次第に刻々と日常的な営みに加担しているのは世界平和均衡の配点でそれが核を持っている国、持たない国でお互い好き勝手に定まらない視点で論じあっていても今後の展望は掴めない。やはり新しいルールのもとで、平和の協定を結んで行く世界規模の交流が、これから日の目を見るのでは?との希望のチャンスの渦巻きで発奮してくる。誰もが核を持っている国に対する不信感、心の疲弊を隠せない。しかしぐずぐず言っているだけでは道はいつまでも開けない。大きな心の度量を持ってチャンスの芽を潰すことなく奔走すべき2020の時代は目前でそのことは僕を釈迦力にする。2020はオリンピック元年以外にも世界をクリエイト出来る飛躍の10年になるだろう。