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 僕のような瞬間湯沸かし器はいない。口から出任せだったことも認める。そういう傾向にある人間の話を誰もが、まともに聞けないことは一目瞭然で、なぜ、こんなに平常心がくるくる動き乱れてしまうのか、僕が僕に訊ねたい気持ちも依然としてある。無限大に降りしきる桜吹雪を見ながら、大村公園の今が満開という時節に長崎に来ていることも僕をいざなう運命のように思えてならない。きっと僕がダメだと思った結婚の方に果実はあって、絶対行けるぜ!!ってスタートを切ったバイト生活の方が頓挫して人生の不可思議に思いを馳せる。早くこのことに気が付けば良かった。この裏腹こそが人生の醍醐味にも値し、ダメだと思った方に快挙が詰まっている場合、それを認める潔い人間性も同時に求められているんだなって想定する。意外な人物が絶世の美女と結ばれる時みたいな、ファンファーレ。それに対するやっかみはあっても、納得に導かれる。これまで、なぜ、気が付かなかったのだろう。今まですり抜けてきた人生の方程式の解き方に相当すると僕は踏まえる。好きな道で大成出来る人は幸せだということを改めて思う。希少価値の法則とそう振っていい。僕達の自信の根源はいつも不案内で不適当だった。そういうもろもろから脱却する、出来るプランとしておのおのに、天命という二文字があるのだろう。