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 どんなに僕は格差について論じて来ただろう。その格差を平等にすることは出来ずとも、何らかの対処になって来るのがお互いの目線の調整だと見越す。裕福な人は驕らず、そして貧乏な人は決して卑屈にはならず、正常な気持ちで互いに対峙する。意志の疎通に持ち込む。それをしかし徹底することは義務ではないし、逆に不自然になることを避けながら、きっと別の方法も存在すると僕は見ている。僕達は経済責任のすべてが覆い被さって来るというどん詰まりの特定世代で、開運の方法を個々で吟味してちゃんと、将来に襲い掛かって来るべき災難の時に、全く慌てない体制を今の今から構築しておく必然を僕はしっかり叩き込む。将来の三十年から五十年のその二十年の間にやれば??では遅い。確たる希望は誰にもないが、気持ちはフランクでいなければ恥をかく。さらなる不安を煽ることは今の現状を見る限り、逆効果で、むしろ畑違いの人々ではあっても政治にきちんと釘を刺してもらうことも効果ある手段と言えるだろう。近頃はお笑い界のタレントが私見を堂々と論じている。この言葉に耳を傾けていると異業種だから解るんだな?っていう処の気付きが僕に生まれる。憚ることなくこうして論じ合おう。どうしたらいい?の答えは実は国民全員が持っている。その意図する処にすでに未来は包括されている気がする。