アクアマリン・マン《真春と真秋の間編》〔16〕俺達の年代で最も懐疑の対象となるディスカッションだが、それは子供の教育費だと思うのだ。それにお金を費や出来ない貧困層が学力で遅れを取り、社会生活でも劣悪の職業にしかつけないと言われているがおかしいと俺は思う。これはヤフーのツイッターなどでも活発な論議が繰り拡げられていてどれだけ親が子供を思うかもひしひしと伝わってくる題材だ。俺としては金をつぎ込んで、それで、教育がすべて完了とは実際に思えないし、例え倫理教育で補填しても無理な部位があって、そこに官僚以下は気が付けない。ディスカバリー能力の欠如だと俺は思う。つい最近だが、ボルダリングの施設が近隣体育館に出来て、それをフル活用して子供をオリンピック選手に!!っていう希望も父兄には芽生えて、確かにゾクゾクはしてくる。しかしどこかで線引きがあることを富裕層こそ知っている。そして文学や歴史に詳しい研究肌の人間こそが真相をすでに見ている。科学者も同位だろう。子供の資質を伸ばすことは最初だけ親が介在出来るということだ。後は本人のやる気。その類い希なる資質をどこで発見へと運ばせるのか?学校なのか?家なのか?お稽古ごとでの現場なのか?そのどれにも該当しない場所、ゴッドスペースが恐らく存在するのだ。