アクアマリン・マン《真春と真秋の間編》〔26〕俺は昨夜、福山主演のそして父になるをテレビで観賞して涙が出て来る。自分の子供が取り違えられて、ある日、それがいきなり解って、その犯人には時効が来ていて、罰することも出来ない。時間の移ろいを禁じえず、こういった犯人が時効を迎えている案件でしかも両方の家族をめちゃめちゃにした事件なら、もっと行政が、丁寧に対応するべきだなあって。俺自身、息子と何年も暮らせず、しかし、そういう俺の苦しみや苦難よりも昨日の映画の主人公たちの方が複雑怪奇で家族の本懐についてを同時に考えてしまういい映画だったなあって、こんな事件にもしも自分が遭遇したら一体どうなったのか?と据え変えて俺は捉えてみながら、この家族よりも自分がもっと寂しいことに愕然として思うところがあったのだ。俺は自分の本当の子供と一緒に暮らすことをもうきっぱり諦めて生きる方が、てっとり速いことにも気が付く。嫁の強情さを呪うよりも、俺は俺自身の第一歩と言えるような人生に、着手金を支払うべきでは?と。どんなにいい家庭があってもどの家庭も完ぺきではないのだ。それが解っただけでも俺の精神的立脚は成し遂げられたと見るべきで、邦画であって、しかも世界の観客の心を掴んだこの映画に、俺の人生の正しい曲がり角を見た気がしたのだった。