Ss289

 無理からく、僕にないのは江戸っ子の勢い。時代劇にはこれが満載で力を貰う。なぜ、江戸なのだろう。庶民の憧れは今も東京。それと同位の眼差しをあの頃から地方が感じていたのも薄々ではあるが理解出来る。東京のきらきら感がいい。すべてを呑み込み醸成する。タフな資質に僕は眩暈もしてくる。僕は自衛隊富士学校には実は行っている。しかし自衛隊に入らず伯父に迷惑をかけてしまう。母の兄は駿英でこの富士学校にいた。その関係で僕にも白羽の矢は立った。それなのに僕は親離れが出来ていない青年だった。母もそれほど僕を叱らず、かえって地元に残る僕の生き方をどこか安堵した眼差しで見ていたように思える。姉があれほどの多芸を持って生まれた。いや、言い替えよう。姉を大きく好転させたのは苦い思い出がそうさせた。両親の度重なる口争いや思想的闘争が、姉を刺激し、けん引した。それをいつかは解決へ!!っと向かわせたことは事実。しかもあの事件だって、何十年も悩んで悩み抜いたことを思うと、残酷な事件ではあったにせよ姉を成長路線へ導くひとつになりえただろう。罪を悔いる。この気持ちがもっとも大事だと思う。教会に行っても懺悔が出来ない人が教会を出た後悔い入るのと同位で人は人生のどこかで自分の過ちを吐露し、そこを周囲に認めてもらうことも大事なんだな?とは正直思う。僕は姉がいて幸せだったとそう思う。脇田大佐の妻、キミの写真を持っている。若き日の大原麗子の美貌を見ながら幸せを噛み締めてやまない。