エメラルド・ウーマン《深窓の令嬢ダブリュー編》〔53〕自分が川柳の中で表現するのは滑稽なのだろうか?それとも意味深な風刺?そのどちらでもないように思えるのです。しかしその核が見えて来ません。自分は結婚よりも有意義な枠組みを探索し、それがこの川柳の分野にあるとの前提は立ったものの、相変わらず里子の心を占めていたのは自分自身の未来だったのです。一口に未来と言っても数ある中で、里子が思っていたのは大衆との共感チャンネルを掴むことを求めていたのです。自分に与えられた時間を生かし能力を開花させる為には、もっと川柳を基礎から学ばないと埒さえ開かない・・・とする正統派の信念とは若干違ったスタンスも、見え隠れしていてそれが平成川柳だったのです。人々はこの三十年をいかに捉えているのだろうか・・・。新しい年号が決まる、その年号はまだ、わからないけれど清貧の人々には日常に於いてすでに計画的が点灯していて、自分はそうではない方が、計画的では全然ない方が、人々との呼応がより易しくなることがわかっていました。庶民とは?その階層が抱える病いをいち早く割り出すことが川柳開花のトリックになるものと確信していたのです。