ルビー・ウーマン《ロイヤル・ボックス編》〔206〕キャロルは二週間に渡って諫早を網羅し自分が居たあの新道にどの経路で辿り着いてまた通勤していたかを思い出そうとするんです。当時とは道路の状況も変っていてただひとつ言えるのは歩きですべてを完了していたという二十歳の若さと執念です。今ならどうでしょ。百メートル先のほっともっとへの往路でさえめんどい有様。若い時に培っておきたい項目があってキャロルは運転免許を2年後に獲るんですがその前のこの二十歳から二十二歳はもがきの時代にもなってきます。自分はどういう生業を持ち何でお金を稼ぐのか?そこが曖昧で中々立脚に漕ぎつけません。諫早の時代は思いがけない口喧嘩であえなく終わるんですがそれは二十一歳直前まで続行します。自分がどんなに親不幸だったかわかるし、今も申し訳ない気持ちで一杯。娘たちがどんなに破天荒でも許す覚悟が出来ている母親な訳はここに潜みます。そしてキャロルがダイヤモンドバックスの球場に絡み勘違いして屋根がないと思っていたこと、イエローダイヤ・マンでの記述ですが訂正しないことで発見もあったのです。間違いさえ大衆と共有する時代が来ていることです。