イエローダイヤ・マン《標榜編》〔149〕この国に生まれたことを、シマッタ・・・と思う必要などないが恐らく前回東京オリンピックまでのニッポンはおおらかな牧歌主義思考で佳かったのだ。しかしそれから三年も経過した頃から官僚主義の幕開けを占うようなまるで、学校の成績のいいものだけが天下を獲れるかの図式を作ってしまった。民衆にもそれを助長するような素振りがあったことは言えていて、これから全く違った国家を作る手間を鑑みると、タイニー政府を構築し、好きこそものの上手なれグループ拠点で組織を固める手法で俺は行きたいと思っている。手懐けてみたいのは高年齢層だ。もっとも経験を積みニッポン社会のトップ貯蓄を誇りながら確たる意見を言えないこの団塊の世代以降のゴールデンエイジ達。台所にまだ・・・一斗缶の油を常備なのだろうか。彼らは物をいっているようで全然反映されてはいないと俺は目論む。有識者以上のニッポンの宝だし、そういった面々が俺のチャレンジにガッツポーズをくれる気がするのだ。これからも世代は幾代も巡っていくだろう。ここで国債発行に粛々とハドメを打っていくなど俺は望んでいない。匙を投げたからだ。俺達には俺達のバックボーンがすでにある。