ルビー・ウーマン《ロイヤル・ボックス編》〔141〕逐一調べ上げて、しぶとく父が楽屋を尋ねてきても、まさお君のお父様はそれを交わす術を知っていました。のらりくらりの対応ではなく人生への捉え方が両者は違っていたのです。父は、クラシックの崇高な楽団こそが音楽であるとのキメツケ、しかしキャロルはまさお君の立場を採っていました。クラッシクも素晴らしいが、それが唯一最上だとは思わないのです。例えば、キャロルのピアノ演奏選曲は井上陽水さんの曲が多かったんですが、そのフレーズの真価をクラシックと同位として受け止めたし、キャロルが凄いなって思う楽曲は、本当にすべてヒット曲になっていましたから同時代の人々と合致だったと安心するのです。いい楽曲は世界の音市場で通用する・・・その思いはどこかで届いていたのでしょう。キャロルは意外にも、演歌枠の楽曲にも素晴らしいものを見つけていたのです。しかし、演歌についてはまさお君にはっきり線引きをするように言い込められます。世界を目指すのならジャズ以外にはない、この様式を必ず会得して欲しいって。ピアノの指フレーズでもキース・ジャレットに心酔する彼はキャロルを盛んにサテンへ誘います。ジャズ喫茶でそれを聴きながらまさお君は一体何を描いていたのでしょう。