キャロルが住んでいた熊本の坪井、浄行寺の近い場所は今は中央区になるのかなあ、二男が通っていたのが竜南中学で、長女は市立商業高校。しかし名称が住所から何から替わってただひとつ言えるのは上通り、下通りの名称だろうか。よく通ったのが上通りのピサというレストランで薄暗くてムードがあった。その前にパンやさんがあり、娘の親友のお母様がいてよく買って帰った。この上通りまでは歩いて行ける距離だったがキャロは自転車を使用。三男が市立幼稚園にいたからだ。藤崎宮が懐かしい。長崎に家を建てて定住しても一回だけ上通りのダイエーを尋ねている。小旅行だ。そのダイエーで三男がもう卵から付加したクワガタを欲しがって土入り四ケースを購入してしまい大変だったから覚えている。バス旅行だったからだ。今回の地震の被災をキャロはこう見ている。ちょうど父が生まれた1923年が前回。およそ百年で地盤が動くのはマグマの法則として知っておるべきでその予測も付かない種類には驚嘆する。お子さんを亡くされた方の悲しみにはキャロルも他人事ではなくあることに気が付くのだ。これは次女が妊娠七ヶ月、もう安定期だと思って旅行に出掛ける。キャロル同行であったがこれが高速バスだったために今まで健康だったのにバスから降りると・・・両足パンパンになり・・・・シゲルちゃんに横浜まで迎えに来てもらう。すぐに入院だった。今思えば急性のエコノミー症候群だった?と思うのだ。妊婦の方は厳重注意して欲しい。長文になってしまいバカルは次でいこう~