人間って、決してひとりでは生きて行けないそういう仕組みになってて、それが人という字に表れる。キャロルも決してひとりではなかったし、ここまで来て、余裕を持ってギネスに挑戦出来るのもキャロルが書くことをいつも優先してきたから、それを見守る周囲が寛容だったっていうこと。三十五歳からの挑戦は十二年連続投稿で途切れたが、そこからが良かった・・・。つまりキャロルは遅ればせながら四十六歳、そこからパートに出たんだ。社会を本当に知りたいとそう思った。自分の手でこうして検品するとき最高の境地になる。なぜかというとダイエー時代にはレジだけで検品というものをしたことなかった。右手で機器を持って代表商品スキャンで個数を確認。一度はやってみたいな~ってずっと思って叶ったのだ。でわ梶原、クルマ川柳お願いします。ダイエーは イオンに救われ 超ラッキー〔イオンはフトッパラだし、ダイエーも助かった・・・チトセピアの命名も元九州銀行の行員の奥様、そこが嬉しいな♪〕