サファイア・マン《面白い男編》〔41〕美千代さんのテーブルでキャロルがはっちゃけて、面白い男と緻密な男の違いをみんなの前で説明を始めると、顧客達が異色のざわめきを彷彿とさせ、俺は?俺は?って質問攻めに遭うんですが、キャロ的に、面白い男をこう評定していました。おおらかで、親分肌で、仕事も難なくクリア、問題点は無いが天才度にちょっと欠ける・・・。緻密な男はそれに比べ、普段は確かに暗いほうだが、頭がすこぶる冴えてしまう場面を否めなく、天才度でいえば突出最高!!みんなももちろん、天才だと自分を呼ばれる方が喜びますが、実際、天才というのは、かそけき存在であることをキャロルことあゆみは悟っていました。そんなに秀でていたとしても社会の枠組みに比べれば、微々たる存在。この存在の定理なんですが・・・この頃からキャロルは掛かっていました。存在というものをこれが存在だ!!と言いまくるよりももっと適切な方法があることに照準を合わせていた。なぜなら、会社で、この人物はとっても優秀なんだよ?と評される人々には決まって影がありましたから。天才に付きまとうこういった負の遺産を失くし、付の違算〔儲けること〕に転じるにはある発想の転換が必須なことに気が付いていたのです。自分がここに存在するんだぞ!!ではなく・・・・もうわかりましたね?そうです、社会的に葬られることが天才の存在を確固たるものにする。しかし現実社会でそういうことは滅多に起こりません。社会的に葬られ、国を追われる程の天才になら通常人と上手くやっていくことも、実は可能なのです。