映画って少なくとも四回観ないとわからない。キャロルの場合。そして必ずポイント視点が幾つか挙がってくる。それはあくまでもキャロの視点だ。他の人々との符合はないかもしれないし、逆に他の人々の感動と合致するかもしれない。語彙力や幻想言論霊いわゆる、コトダマが絡むからなんだ。例えば、一回観て、もう観る必要はないと、お釈迦にしちゃう映画もある。そういった映画に示唆がないことは一様にいえる。映画でも何回も観たい!とそう思わせるモノは一流の証し。あの映画なんかがそう・・・ものすごくうるさくて、ありえないほど近い。残念なのはこの邦題だ。センスがない。もっともっとヒットして当然だったこの映画は深い。なぜ、少年は電話をとらなかったのか?