いじめに負けない人生論は作文に現れる情操教育で、どんな情操の子供を育てていけば、国興しに役立つのか?例を挙げましょう。今のままでは上層教育でしかないからね。例えば、ボランティアについて、お年寄りがバスを降りることが出来ず、それを介助した乗客青年がいた、それを観て、いつかは僕もああなりたい・・・こういった文章はダメ。国自体が蒙昧して、いい文章を書くことが、ボランティアだ、震災を援助に行ったからOKだろう・・・こういった風潮ってのは事実よくない。そもそもボランティアっていうのは、迷ううちは、ボランティアにはなってない、キャロルも実はそうなんだ。南越谷駅近くの、パンやの前で、お年寄りがばたっと倒れた。すぐに救急車で運ばれたけど、実際キャロルは蕎麦屋の裏で様子を伺っていた。とってもびびり屋なんだね。こういう風情だから恥ずかしいかもしれないけど、実相をしたためる事を薦めたいし、これが効を奏じるんだ。本当に、携帯で救急車を呼ぶ人間、そして大丈夫ですか?と必死に声を掛けている人間、そしてやがて、みるみる間〔ま〕に烏合の衆が・・・。そこで、何も出来なかった自分、隠れていた自分を正直に描写出来ることも一個人として重要。ほら作文に於ける自信にはなったろ?