三年〔日大高校〕になると、推薦で東京の日大に行ける程成績も向上してた。それでも新聞配達に重きを置いていたってのは、将来的に新聞と、自分が、関連持つってことが判っていたっていうこと、体を鍛えたい!ってこと、そしてみっつ目が傑作なんだよ。近所の人々は、優等生だったキャロしか知らないから、この転校が品行方正にもとるっていう原因なんだって、思い込んでいたんだ。この誤解は、ある意味、五階から、飛び降りるよりも難儀だったワケ。人々の記憶に残るからなんだ。そして、人の噂も75日っていうからねええ。ま~じやべ~って。朝日新聞販売所の門を叩くと、即OK.嬉しかったよ~それまで本屋さんで、店番のバイトは中三の頃やったことあっても、新聞屋さんは、初めて。自転車の前と後ろに50部ずつ。100軒超は配ってたんだ。朝、五時にキャロが入れるとね、バタって音がして家人がすぐに取りに来るんだ。そうだ!!その新鮮な喜びを歌った短歌、特別に本日は出しちゃうね。新聞の 飛び込む音の 潔さ 夜明けの快音 知る人ぞ知る こころをゼロに戻してくれたのは、新聞配達だったんだよ。たとえ落ちこぼれって言われても、自分が変わって、もう一度、みんなと肩を並べたい!!ってね。すべてがかなう。自分の努力次第でしょ!!