ピーパー・ウーマン1145

 これまで鬼婿のイメージが全く想定不可だったけど、今、海辺の家を観賞しつつ、当確を認識出来た。どんな映画ですか?奥さんは出て行き再婚し、交流は反発の激しい16歳の息子とおもにしてる。じゃあ元鬼婿ですね?息子さんとは面会出来てるんですね?そこが複雑で奥さんと別れても愛情があるみたいな…しょっちゅう元奥さんも訪問してくる。鬼婿だとなぜ思うんですか?退職を言い渡されて切れて自分の作品でもある建築ミニチュアを全部、ぶっ壊して退社する…やばいでしょ?でわお願いします。鬼婿へ 退職勧告 メール便(器物破損は嫌だ)でわ僕も行きますね♪鬼婿は 余命を言われ 眼が覚める(海辺の家は父と子の絆を描く素晴しい映画)

デニム・ブルーママン11の12

 間ノ瀬(まのせ)分校の子供たちが編入して来て5年3組はにわかに活気立つかのようでした。容子はまた学級委員長になり、1学期当初からいつものようにリーダーシップを要請されるエイプリルスタイルに入るのですが、その年度に異変が起こります。自分の別の面に実は気がつき始めていたのです。山肌の奥に棲む生徒の発言…まさかそれが容子の一生を変えるとは。人の支えになり、目立たないところで尽力するやり方でしょう。派手ではないけど皆の役に立つこと。なんでそういう発想的志向へと変わりつつあったのか?と言うと田舎の子供たちの中で意外な意見を拾ったからでした。頭がいいだけじゃ駄目、心が綺麗な人が本当のリーダーだと思う…正しく、容子は水を得た魚のように、それを捉えたと推量する。現実にはお人好しで終わるのがオチと私は即、思った方です。頭の中でピリオドを打った。容子はしかし、違う受け止め方を取った。深い洞察力で呑み込んだ。まさかの精進をその後重ねて行くなど、当初は、想像がつかなかったのです。

ルビー・ウーマン977

 今年の6月15日、朝の9時17分にファミポートからはてなに振り込んだお金はどこに行ったか?全くわからないまま、4ヶ月以上が経過、めんどいけど、ファミリーマートのお客様相談室に今さっき、苦情の電話をした。はてなは受け取ってないと思うからだ。スターは入って来なかったし、ポイントもない。ファミポートが間違いをしでかしていると、私は睨んだ。ちょっとお待ち下さいと暫くは待たされたあと相手も豹変する。間髪を入れず言い返してくる。お客様の手元に当日のレシートがあるからこそ、自分たちは代金を相手に支払った言える…と、はなから、応酬をしてくる。はてなにもう一回問い合わせて欲しいと言われ悩む。三千円分のスター購入代金だった。すっかり、忘れていたことを、思い出せて良かった。メメントという映画のお陰だ。

イエローダイヤ・マン1382

 これだけのブログ人口になって、皆で様々な概念をシェア出来る満足は、この上ない。世界の壁をも撃ち破った感はある。昨日も、のめり込みそうになりながらはてなブログに読み耽る。その女性は知り合った男性との恋の遍歴をかなりハイレベルな文体で記していて、僕は戸惑う。個々の男性を細やかな描写で紹介するだけにとどまらず、比較検証。小説を読んでいるようなのだ。既婚で夫とは別れたくない…とある。正直僕は萎えそうだった。僕が描いて久しかった結婚願望がプツンと消える。しかし見落せない。筆者の心境は複雑ではあるが、必死でもがいて今あるがブログに映し出されせっかちに読み急ぐ。先へ先へと分け入る。人を惹き付ける力のあるブログだ。彼女の恋の遍歴が僕らの参考になるのか?疑わしいと思う輩(やから)はいてもいい。しかし読者数はかなり多そうだ。本当に自分のことを思ってくれる男性。しかも、キスが旨い男性がいいらしい。女性の望みはすべて叶えてあげたい男性は多い。その潜在人口を知れば女性たちはきっと驚愕し腰を抜かすだろう。しかも、このパンツ一丁の採用写真が美しい。気に入った!!

ピーパー・ウーマン1144

 中華の出前があればいいのにな?って家族が、ピザ屋でもいいから、そういう取り組みがあってもいいよね?を提案してきて、昨夜あたし、春巻きを早速セブンイレブンで2個購入。今食べてる。冷めても美味しい。確かにあれは美味い…あとはどんなメニュー欲しいですか?もしも揚げシュウマイが出来ればめちゃくちゃ嬉しい。僕はそれらの願望を全部ひとまとめにしてるのが肉まんだと思います。でも、エビチリにも未練ある。中々これはコンビニでは見つけにくい。今日僕はホットパンツで焚き火台での焼き芋に挑む鬼嫁を行きます。じゃあお願いね。さっそうと ホットパンツで 芋を焼く(寒いときも鬼嫁は軽装)でわマレさんお願いします。元鬼嫁 お薦め中華 バイキング(7種類入るパック、元鬼嫁が選んでみた♪餃子、酢豚、ビーフン、海老ちり、マーボー豆腐、春巻き、シュウマイ、デザート付きは高くなる、杏仁だよ、これは中心に。デザートなしならここに焼き飯)

デニム・ブルーママン11の11

 家の中で本来なら、年令が最も近い私が美知に寄り添えれば良かったけど、私はそれが出来ず苦慮するだけ…なんでこう、冷たい?と周囲も思っていたでしょう。私が昭和4年生まれ(1929)で彼女は2歳下。しかし、文人が持つ過度の神経質や気鋭の裏に控える憔悴をある程度は理解出来たので引いたのです。むろん容子も同じだったと思う。医師は不治の病という言い方で終始します。わずかな余命をタヤは察知し、覚悟はしていたのです。病院には入院させず家が良いとタヤは判断します。夫は海の歌山の歌の投稿募集で美知の短歌が選ばれ、本になった…と彼女が亡くなったあと、あちこちの古本屋を回り、ようやく、発見したと声を上ずらせ話します。その日は、持ち合わせがなく諦めて家に帰る。次に店に入った時には、すでに売れたあとだった…と。容子が小学5年の7月に美知は静かに息を引き取ります。亡くなるまでの間、美知から、短歌の話を聞く機会が何回かあったというから、しっかりバトンタッチは出来たものと私は捉えています。