サファイア・マン《緻密な男編》〔136〕自分でも信じられないような進展で、子供を受け取りにいって思うのはこうして下の子供を預けても年子でその上がまだしっかり手が掛かることでおいそれとはいかない女性の仕事を思うのです。自分は彼の収入で飯を食っているんだ、その気持ちに偽りはなく、どこかで譲歩も必要なこともわかるのです。そして自分が三十二歳になっていくときにもそうしたように温かい眼も必要なことが微妙にも露になる。こうして元気で一緒に暮らせることになぜ、感謝が出来ないでいるか?そっちの方が問題かもしれない!と、揺れるのです。果たして夫婦とはお互いをやり取りする言葉だけの絆だろうか。縁あって、今ある夫の子供達に加えて前夫の子供達ふたりも一緒に育てて行ける境遇を頂いた・・・。ここで奮起するのが何か天職のように思えてならず思いあぐねるのです。社会での軋轢ならまだしも自分の戦う相手は家の中にいて、その相手がとことん傷付くようなやり方でいるのは正常ではないのでは?と、一瞬は彼を大きな包容力で受け止めようとはするものの、やはり許せないのです。行き着く先はいつも同じ海岸・・・。自分は駄目な人間かもしれない、納まりの付かない救いようのない人間かもしれない。落ち込むことも視野内だったのです。