今まで甘く弟には接して来た容子に勇気は芽生えています。これも、昨夜プライチマン来て話せたことが良かった。実は容子には、人を説教したり、注意したり、出来ない性格が、6歳から、第2感性として固定していたのです。棲んでいた戦後初のアパートにはそうそうたるメンバーが棲んでいたにも関わらず、容子は男の子に傷を負わせ、逃げるように、1家で、ひがながに越して来たのです。もちろん、私は階下に棲んでいました。容子は矢上神社の横にある先祖の土地を活かす決心をしました。もう、家を建てることは、出来ません。弟は、和田家の家紋に傷をつけたからです。私らは、容子に従います。元々、家土地、お墓は、全部容子に任せたいと遺言を書いて弟は、亡くなりました。それなら、公証人を立ててやればよかった。しかし、最後の息子への溺愛の破片が、弟の眼には残っていた…しかし、容子には、新しい案があり、パーキングです。それなら、弟にも、わずかながら、取り分は、生じる。優しさに溢れる案で、私は正直、腑には落ちない。しかし、それが、容子流なのでしょう。