アクアマリン・マン

特異と言われてもよい程の呪縛を日本人はほぼみんな抱えている。

しかし、容子が言うまでもなく、皆が予想していた範疇。容子はしかし、人から指図を受ける容器(うつわ)ではない。それはみんなも、この10年のブログで察することは出来る。生まれたときを少し過ぎた幼児の頃から、人の話をしっかり聞いている場合と、ほぼ聞いてない場合、全く分かれていたと、身内に聞いたことはあり、僕は、扱い方に、苦慮した。素直な容子と、断じて己の方針を変えない強硬な態度。単なる気分屋かと推察していたがある事例で判明した。靴下だ。寝るときも、履く様子に僕は悪寒が、走り、すぐさま、靴下を脱ぐよう命じた。しかし、絶対に言うことは聞かない。小さいとき、砂浜でフジツボを踏み痛かった経験から来ていた。僕はこの人物の用心深さや、びびり屋の部位を知り、それからは注意するのを止めた。経験は容子の場合、未来を決定付けるのだ。