音楽ならなんでもござれの容子が高一のとき、音楽教師に言われたことはあります。多芸は無芸にしてはいけないって。これには深い意味があり、それと同じ観念を私も思ってみたことはあります。しかし、まず、多芸にも程度がある・・・そのボーダー引きが肝心になると思うし、そこを怠ってしまうのがこの国の軽さです。私達は人気があれば、それが実力だ・・・と盲信してしまう性向を誰しも持っています。そこがもっとも死角になる。そこで容子との差がつく要因をみずから作って容子を優位にしてしまう・・っていうトリックです。素晴らしいものには値がつきません。元来そういうものなのに、人々が市場の産物として値をつけ設定価格で歓喜している。しかし情操の源とはそういう表できらきら輝いているもののみではない・・という深い示唆を持たないといけない。どの程度の才能を維持して今日あるのか?多芸の意味から厳密に推察していく真摯な構えを今は正統派への道標として捉えていることが勝機を掴むことに繋がるでしょう。人気はなくてもいい。誰からも賛同は必要ないっていう姿勢でいても人々が離さない容子なら本物・・・とは私はまだ、思いません。今までの出て来方ではないからです。ブログでさっそうと出て来ただけ・・・あくまでも自薦です。このやり方だと責任を取れる方は存在しないからです。多芸は無芸・・そうならないために、どうすればいい?その教師の問いかけは群を抜き16歳の容子を50年間も牽引してきたか・・・そこを思うと私は教師の仕事の素晴らしさを思わずにいられない。あたしもその欠片だった。大きな感動が襲って来ています。