デニム・ブルー・サファイアママン19

 みんなが苦慮を抑えて生活していました。すぐにチャンスを掴んだ者もいれば、なかなかチャンスが掴めない。そういった苦境を目の当たりにして教員として思ったのは最高幸せを求めてはいけないということ。そこそこの幸せで安堵し自分をその中で開花させていく。あまりにも実現不可能なことを考えていること自体、雲を掴むような話って言われかねない。スクリーンも私を魅了しました。映画の中で憧れはどんどん膨らんでいく。私達の手の届かない場所で咲く彼女たち、彼らたち・・・。そこで大衆とスターの奇特な関係を肌で感じます。手に届かないものを羨むことではなく、生活の基調が必要だったのです。当たり前の暮らし。そしてささやかな幸せ。私の花嫁道具には母の形見である桐のタンス、三面鏡、お雛様、そしてお琴があって、結婚式はしませんでした、義母は名家の出。それなら身内だけで前の奥さんのとき、結婚式をしたはず・・・自分は何も求めないってそう決心したのです。なぜならどんなに転んでも、後添えという事実は動かない。プライドの第一消失でもあった。しかし世間はまだ暗澹としていて、多くを望む姿勢では良くなかった。何が吉と出るのか?凶と出るのか?みんなが手探りの状況だったことは言えます。昭和二十年の後半を笑顔で語る人間がいたらお目にかかりたい位です。