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 大原麗子さんにそっくりだったあたしの祖母。脇田キミ。写真は弟が持っていてその一枚きりしかないと言ってました。髪を三つ編みにして微笑む脇田大佐の妻キミ。大佐が亡くなって十年後の昭和二十九年に亡くなっています。1954年です。やっぱり思うのは大佐が年金を貰う為にはあと四か月足らず家族は大変だったということ・・・。しかしどうでしょう。そんなことは言ってられない。沢山の人々は戦地に駆り立てられて命を落としている。大佐の年金がなんなの??って。冷たいようだけど、あたしたちはこの国全体のことを踏まえます。戦争にみずから突入していった日本の勇み足。このせいでどれだけの国民が災難に遭ったのか?そこを伴侶も言いたかったのです。仏壇に手を合せると、しかし、彼はこう言うのです。僕ももう少しは、脇田大佐のことを分かるべきだったな?って。済まなかった・・・って謝ってくるんです。いやあ、そんなことはないよ?ってあたしは答える。人間誰しも自分の感情を持っている。自分の物申す位置がある。だからこそ、正常な意志の疎通も可能になってくる。あなたの考えは日本国民全体の考えだと思う!!って彼を奮起させます。亡くなってしまってからは何もかも遅い・・・っていうあたしのマイナス思考を撤回します。今でも充分遅くはない。今朝はよみびとしらすから、この短歌を紹介しましょう。摩耗を強いられ 損傷激しき 駆逐艦なれど 奇跡の航海 なきにしもあらず☆祖父が雪風に乗っていたことを知らずしたためた☆