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 姉が故郷に家を建てて帰郷した時、最初に僕が引率したのがジャスコだった。今は東長崎イオンと呼ぶ。しかし今でもジャスコと呼ぶ温容な人々も存在していて味がある。大村ジャスコはオムジャスと呼ばれ、この東長崎イオンはヒガジャス?いや、そうは呼ばれていなかった。やはり音〔オン〕に鍵がある。オムジャスはオムライスを想像させてしかも大村を連想させるからいいのであってイオンよりもジャスコ派は意外にも残っていると見るべきだ。ちょうど地デジになってアナログが消えたようにジャスコからイオンへと歴史は動いた。中身はいつものジャスコ。あったかいし庶民のプロムナードである。姉達は子供が多かったからここを選んだ。ゲームセンターでこ一時間は遊んで僕に感謝の眼差しを向ける。ありがとう!!東長崎にこんな素敵な遊び場あることは嬉しい!!期待以上だったわ!!って。僕は感謝されて嬉しかったが子供がいない分、自分がまるで父になったみたいに宇宙遊泳していることにはっとする。そうだ・・・僕の人生に欠けていたのは子供なんだって。しかしまだ、その頃は若い。僕もいつかは結婚出来るだろう!!って高を括っていれた。しかし今はもうそんな悠長なことは言ってられない。神様は僕に子供を与えなかった。っというより僕は結婚に慎重過ぎたのかもしれない。