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 僕が一冊の本を手に持って親戚のみんなに祖父、脇田喜一郎大佐のことを話した時、姉も同席していた。脇田大佐が艦長を務めた雪風がいとおしくて僕は素直に雪風の奇跡を話したつもりだった。しかし・・・親戚たちはその時、何を思ったのか僕が自慢饒舌したかった?とそう獲ってしまう・・・。悲しい性〔さが〕だ。なぜ、そういう勘違いが起こったのか、僕にも分からない。ただ、雪風が奇跡の駆逐艦だったという事実を話した積りが真逆に獲られる。世が世なら立派な話。いまはそういう時代じゃあないでしょ?って。僕はカチンとではなくケチンと来る。ケチを付けられたと直感する。そして姉を見る余裕もなく、ただただ、くやしい気モチで自分の持って来た本を引っ込める。なんでこううちの親戚たちは頭が古いのだろうって・・・。コリャア~ダメだ!!って一発で気が付く。第一、世が世なら?っていう表現自体、僕の母親に失礼だろう。母は亡くなっていなかったが、それが、僕を釈迦力に怒らせる。今回、姉は義兄の葬式にこの自分の身うちを全員カット。呼んでいない。一人だけハトコがいたがこの人物は同じ銀行の行員だった。そのことが僕を最高境地にいざなう。何を隠そう、姉だってあの時に驚いた。びっくり仰天したと思う。僕達は自慢したい気持ちなんて毛頭ない。連れだって死ぬしかなかった同胞たちの激務を、昭和のヒトコマとして見つめるだけしか出来ない。桜の花びら見事に散っている今の時期、僕はとうとう思い出してしまった。