僕も厭世主義者を貫くために数々のものを犠牲にして来た。家庭に縛られるのは嫌だった。そこは回避出来た。今もってこのステータスは我慢の連続ではあるが、僕の気持ちの先にあるのは教師に似た思い・・・。そこが自分でも不可思義だ。年を重ねることに僕の未来がここ数年ここに落着きを見る。前みたいに激昂することもなくなり、あんなにカッカ来ていたのは何だったのか?今なら親父にも寄り添えるかも?って本気で思うことも多い。親というのは口が酸っぱくなるまで言うものだ。親父の場合、定職に就きなさい!!だったが僕はこの言葉を何回浴びせられたかは解らない。恐らく二百回以上言われた。親父だって辛かったはずだ。ちゃんとした企業に勤め、判で押したように行き来するサラリーマンを親父は最高と位置付けた。僕もこの歳になって悔いる自分は確かにいて否定しない。後悔先立たずとも言う。しかしそこで行動を起こせない自分の方がもっと嫌だ。嫌悪の対象にふさわしい。僕は僕なりに駒を進めてきた。同年代の男子の年収の平均はどの位なのだろう。小さいときはそんなことなど想像もせず一緒に遊んでいたがんぜない頃。僕のことを覚えている女子の級友は、僕のことをこう表現したそうだ。あの足の速い彼は、今どうしているんですか?その質問は馨しい。僕を歓喜させる台詞に違いない。