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 とにかくこんな悲壮なことが起こったにしてはマクロン大統領の強運を思わずにはいられない。天性与えられた政治的運命かもしれない。風見鶏とい言うと、どちらかというと余りいい意味では日本では使用されないのに、今回の失火でノートルダム大聖堂は焼け落ちたにも関わらず、中にあった由緒ある骨董品や風見鶏が残ったという点で、僕は何というマクロン大統領の命運だっただろうか?って実は恐れ入ったという心境でいるのだ。なぜなら世界各国から寄付が集まり複元への計画実行も確実視されて、フランスが愛される起点を今回しっかり掴んだ点で、政治家としての運勢も盤石になったことに思いを馳せる。この失火に関しては僕も不審火を予測していた。こんなことになるのは余程のことが起こらない限り、あのような火事にまで発展するはずはない...とそう結論付けていた。しかし人々の観点はそういう処にはなかったのだ。僕は度肝を抜かれる。人々は、フランス国民になり切って、今回の惨事を悲しんで、火事の原因なんかはどうでもいいっていう捉え方。僕は宗教の強さを思い知る。鐘の響きといっても過言ではない。風見鶏も、どこを向いても報われる。つまり各国からのエールで、風見鶏は360度回転可能なのだ。マクロン大統領の、絵本から出て来たようなハンサム振りはなおフランスを、おとぎの国にする。あと五年は確実に政権が約束されたマクロン大統領に、風見鶏もそっと微笑みかける。