サファイア・マン《面白い男編》〔191〕私は次女の自転車事故を皮切りに、たて続けに二男の頭の強打事件に打ちのめされて、車が傷付いたことなど些細なことでしかなかった。しかし相手にとっては違うのです。車はドアがぺしゃんこになって見るも無残な姿。それを治そうとするには安い車過ぎてお互い口数も少なくなってしまうのです。事後承諾で物事すべてを行う癖を直そうとはしない私に、彼はもはや諦めてしまったかの捨て台詞です。この車を隅っこに隠すようにゴルフ場に通っていることをくやしそうに語るのです。私は自分が了承を得ず購入してしまったことを謝ろうともしません。逆に切り株にぶつけたことを不注意だったね?と度々非難され、血圧もじわりと上がって行きます。子供が頭をぶつけて気が動転しているのに、ぶつけたことをじわじわ後になって責め立てて来る相手に愛想もクソも尽きるのです。そしてこの一件はひとつのオムニバスになっていることにやがて気が付くのです。幾ら相手に説明しても不注意だったとしか一蹴されないのだとすれば、他にどんな救いがあるの?って。私は短歌の存在を感じたのです。頭を打ってすぐさま母は息子を車に乗せて運ぶ。救急車よりも速いからです。いろんな怖さも浮上します。途中で幼子は気を失ったりしまいか?頭骸骨に罅が入ってはいまいか?