俺が明治生まれの父から受け継いだ思想の核となるものこそが、人に迷惑をかけない、飯を食える人間になる、そして勤勉だ。教育一家のおしとやかさの欠片もないあいつに俺は憂えたし、真の教育者の家庭とはそういうものではなく、もっと根底がしっかりした真骨頂があるべき!!と俺は譲らなかった。どれだけの時間を割いて研究者はノーベル賞を獲得する?どれだけの時間を費やしてオリンピックの金をゲットした小平だろうか。そういう時に文学者の時間とは一体何を指すのか?俺は興味深く思うのだ。達成に至る原資となる等価があるはずだ。決まってこう世間では言われる。経験が必要だ!!と。しかし俺はあいつに足りないものが存在するのでは?とまだそれが何なのか分からないゆえに熟慮している段階だ。カッとなってすぐコンビニを辞めて来てからずっと俺は検証していた。本当はあいつに反省点はあったのでは?と。俺はもうじき七十五歳の翁。図らずも図星を描きつつある。俺達は文盲に近い凡人。しかしそこで根を張って踏ん張ってきた執念が、あいつをどういう訳か、疎外してしまう。デルスカイしておこう、才能とはウィルスに近い様相を呈している。With the extremity of the genius,reversible reaction includes it