イエローダイヤ・マン《標榜編》〔364〕俺は薩摩イモの天ぷらが大好きでしかし中々自分で揚げることにはならない。薩摩イモを輪切りにするのにどれくらいの労力を使う?そこを思うとやはり揚げ物コーナーで、それを見つける日を待っているという段階で、これが中々、見当たらないのだ。なぜ、薩摩イモなのだろう。俺が小さい時に友達の家に遊びにいって、そこで頂いた懐かしいお味だから?というのはあって、その家は農家だった。俺が来ることを母親と息子が同時に楽しみにしてくれて、頭がそれほど良かった少年ではなかったが、きっと今も母親を大事にしていることだろう。お菓子やゲームが氾濫する中、このときの思い出は強烈で、俺は家に帰って、週に一回は芋の天ぷらを食いたい!!と懇願した。母は了承して時々揚げてくれたが、あの少年のお母さんの味がやはり・・・どことなく違っていいのだ。田舎の長所を俺達はまだ、よくは知らないのかもしれない。そこに食の宝庫が横たわり俺達の思い出にまで君臨している事実に驚愕してしまう。