イエローダイヤ・マン《標榜編》〔85〕最近の俺は何でもかんでも揃えながら店を構える雑貨屋になってしまい、大事なものとそうでもないもの、永遠なものと単発でいいものとの連結を楽しむためにただ忙しくしているだけ・・・そういう粗雑な心でいいのか?と一月を終わろうとして反省もある。今月最も俺が驚いたのはイエスの方舟の真相をやっと把握出来たことでこの事件そのものは俺が生まれる前でドキュメンタリーでやっと先週放送があったのは相手側の許諾が出たからという。俺はこの組織の本当の姿がやっと見えてきたことでニッポンの窓のひとつが現われカーテンも開いた!!と素朴に喜ぶ。母などこの組織を怪しいといつも思って来た口で、家族万歳の概念のもとにある母には恐らく理解不可能と思われる。しかしだ・・・。聖書に支えられ意志も強固な集団生活を選んだ人々の表情に俺は何かを貰えた安堵感があって救われる。母がもっていない無垢な私人の顔顔なのだ。ファミリーはどこでもそうだが外部を受け容れない強靭さはあって俺はインタビューを受け容れたことで、この組織は何かを超えた!”!とそう思うのだ。聖書の素晴らしさは俺にも少しだがわかる。しかしこの組織には入れない何か途轍もないものが俺の内奥にはある。心を彼女たちに洗われてその正体がわかったのだ。