サファイア・マン《かけがいのない男編》〔108〕苦しみだが上手く消化するのか、それともひとつひとつが偶発した物語のヒトコマだと捉え記憶保管にいそしむのか、キャロルは後者を選択します。しかしだからといって彼の無造作な失礼をそのままで置いておくはずもありません。結婚を完全に偽造化している彼の行いこそ、社会人の鉄則から外れていて上司たちもやはり手緩いのです。キャロルなら君の好きなようにしてはいけない、人生の伴侶と一緒に暮らすということはそういった約束事が前提になる!と揶揄する場面でしょう。しかしこっちの恨みとは逆に、こういった転勤を契機に人肌脱いでいる会社の配慮にも目が覚め、自分が遭遇し飛び込んだ結婚の中身がどうあれ、それを描写していくことに何か意義を見い出すことなのだ・・・との結論。誰がどうあがいてもこの三十一歳という輝ける時代は戻っては来ない。彼との第二子に備えるというこころの準備が重要で、誰よりも幸せとはいかないかないけれど与えられた家事育児をこなしていく、最低限度の約束事を自分は放棄しないように、それがなければ後生後悔するに違いない、そしてキワメツケは母の言葉だったのです。子供を自分で育てない女性は枕を高くして眠れない・・・母はきっと古風なことを言いたくてそれを発したのではないことだけはわかっていたし、そういう心構えが女性をさらなる配置に付かせることは自明だったのです。