この国という言葉を連呼するわりにキャロルが選挙のときに投票に行かない姿に俺はびっくりするやら悲しいやら・・・最近は諦めて俺もあえて言わないが、俺は投票を棄権する人々は何も言う資格がないとそう思っている。すべてはそこを駆使する数の原理からだ。選挙にもいかず、何か偉そうな事をいうのならそれはハッタリでしかないし、俺はこの国は・・・と言わない替わり投票をその権利を駆使する。どんな一票も集まればそれが勢力になる。この国を決めるのはその投票が全体の一部となるからだ。誰も責任を取らない国なのか?というと俺はそうは思わない。屈指の言論があるからだ。間違って、国にプールされた資本金を崩したりしたらば、元本割れしたならすぐさま説明は必要で、抜けては通れない。大人の社会として、説明を避けることは出来ないということだ。そういった説明をきちんとさせるためにも与党は存在する。与党であり続けるがゆえに説明は避けて通れない。デルスカイしておこう。政治はメルヘンではない。