聖書には金言の部位もあって、しばしば応用されて今も現に世界各国にあるが、昨日の映画を観て聖書について改めて考える。デンゼルワシントンが一冊の本を運ぶ映画だが、本当に以前は感動した自分が信じられないくらい、私自身が変わってしまった。本当にこの映画がわからなくなったというのが真相で、聖書の本心をついてはいないのでは?とすら思ってしまった。2010年からたった六年で、キャロルの捉え方が変わったのにも、自分達が思う聖書の姿とは全然違った場所に立つアメリカなのは言えていて、せっかくのいい映画もダメにしているのが実在のアメリカだろう。聖書は第一あんな殺戮の末に守られてあるものだろうか?聖書の存在すら危うくする。聖書は、全世界で最も読まれた書物ゆえに杞憂する。あえて杞憂と表現することで、キャロルは一歩置いている。各国で、それぞれ違った意味を持って聖書は存在することを胆に銘じたい。そして応用のされ方、表現の所定位置すら変わってくる。もてるマジネスマンの法則・・・すべてを一律に語ることは出来ないがこと音楽に関しては保たれている。音楽の奇跡とそれを題しておこう。