今・・・ブログを書く理由?っていう題目があってて、それを読んで考えたことも自分に問い掛けるキッカケになっているかもしれない。果たして自分はなぜ?したためるのか?っていう疑問符だ。答えは人それぞれ違うだろう。キャロルはこうだ・・・。以前したためたこともあるかと?トゥルーマン・ショーっていうジム・キャリーの映画だ。決定論を進行しながらその枠組みを自身で完走する意味がある。つまり他の人々は全員キャロルの完走を観れるし知っているのだ。食べたものさえ、その日に関わった人さえ、知っている。しかしそこに横やりが入ったり、天災が入ったりする。そこも折り込み済み。そしてやがてキャロルは周囲のみんなの期待通りテープを切る。完走のテープだ。倒れ込んでも誰もタオルを持って駆け寄ったりはない。人生の完走だからだ。そこでは運命決定論が縁の下の力餅として関わり次の人生も暮らしいいよう見守ってくれる。クリアしたからそこで終わりとか死ぬとかいうのではなく次に音楽が控えている。これはビジネスライクで飯を食うために音楽活動するということだ。どれもこれもボランティアではいつまでたっても半人前でこれでは子供に迷惑が掛かるからだ。ほなあバカルいってみな~永遠の リーチがなが~~い ホームラン☆マージャン用語ではなくここでは野球用語でね?☆