六十代を迎えるときにある種の疎外感ってのは誰にもあるって思うんだ。チハホヤしてくれない、もはや誰も自分に何も会話してこない、或いは言葉掛けが少ないって。そういう気持ちになって落ち込む状態って実は正常なんだ。誰も六十から上り詰めるなんて考えられないし、普通は引退の年で定年もその付近。疎外感があって当然でそれでも話しかけられたり、若者が注目してたりするならその古老はきっと若者をよく観察していて照準を若者折半にしている可能性大なんだ。キャロルも四十代になるときがもっとも沈痛だった。何ひとつ結果出してなかったからなんだ。でも今度の六十代はそういう沈痛感やゲンナリ感ってのは皆無。これも馬鹿!!って言われて目が覚めた部分は大きい。若者が声を掛けてくれるときは気を使っているときがほとんど・・・。現実はそう。しかし若者にアドバイスしようとか全然思わない人の方が実は素晴らしいキャリア組ってことなんだ。説教したいから寂しく思うけど、古老がやるべきは自分たちが残したツケの清算。それに敏感であれば偉そうなことは古老はいえなくなる。実は若者はそこら辺にも目敏くてどんどん古老をコキ使ってやれ!てそう腹で思っているんだ。ケサボイは書き使うで天才肌の古老をしたためることで有効活用すること。ほな火事場からね~寝返り専用 サファリバックだ いよいよでんね?