ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔64〕父はその頃から司法試験に挑戦して、もういい加減辞めたら?と言われても何年かは挑戦、よく聴くと師範学校を受けるときにも長大医学部も受けたみたいで驚愕。父は何でも高い処を見上げて挑戦するし、その頃も、母という大佐の娘を嫁にして殴る蹴るの目に遭っています。しかし、キャロルの命が無事だったのはこの父の恩恵が大で、もしも母のみならどうなっていたか、本当に先が見えなかった。子宮の中で、自分の命に気が付いたときから、ドスンドスンとアパートでの闘いはもの凄く目眩がしそうになります。逆子になってまた戻るという繰り返しで、それも母が、まだ産むか産むまいかを迷っていたせいもあり、母親がその調子ですから、不安は子宮にもテレパ波として伝わります。望まれない子供なら即時退散するしかないのでは?と神に直で自身の不安を訴えたこともありました。神は、むしろ生まれたあとの方が怖い、今は案ずるより産むが易しと言われます。胎児として、生まれたあとが怖いと言われ安穏とはしていられません。神の言葉にすがりたい気持ちで、自分の安全は父が受け持つのですね?と尋ねますとくどいぞ!と。しかし、存在はしていてもこうも子宮の中まで聞こえる日夜のドタンバタン・・・。やすらぎではないその現世に思いを馳せる、そして消沈するの繰り返しだったのです。生まれるための練習と題して予行演習はありましたがいつもさぼります。どんなに練習しても駄目なときは駄目と決め付けていたし、それを神は残念だと言ってきます。練習を積んだ者には出産無事のお墨付きがあるんだぞ!と。しかしキャロルの不安は生まれる前のドスンドスンで憂慮に確定、それがあるのに悠長に練習とはいかなかったというのも当然至極でしょう。