昨日長女たちが、親子三人で来たのですが、創価学会のご本尊さまをキャロがしっかり守っているのを見て、いかがなものかな?という顔・・・。きたきたきた~~~っていう気持ち。これは、ニッポンの宗教的一場面にもなるから丁寧に描写しないとね、拝むということ、形式に関して、ニッポンには多くの形が存在していて、娘の嫁ぎ先も南無妙法蓮華経と唱えるけれど、宗教は別。早くそれを、どうにかするように示唆されて、何もわからない滋ちゃんは困惑顔。彼の生家は、南無阿弥陀仏。でもそこはキャロの明るさで難なくカバー。これまで様々な宗教を見てきて、思うのは、やはり池田大作先生の言葉の抱負さ、愛に満ちる語彙力。宿命転換という言葉や、諸天善神といった四文字熟語がキャロのこころに響くのだ。苦しみにうちひしがれる人々をよくぞここまで・・・そういった凄い感はキャロには健在なのである。ニッポン人をわからなくしたのは、この宗教という波打ち際。波をかぶってしまえば、キャロも誰だかわからないように、海が持つ言葉の塩でその中で、模索は続行されてきた、ここも見逃せない。懐中〔海中〕時計という言葉が世の中にあるように、宗教もその姿を現世にさらしながら、命を刻む時の大海原を旅しているのかもしれない。