サファイア・マン《面白い男編》〔1〕どんな男が面白いか?っていうと、それはやはり、父でしょう。網元の旦那をアミダンというのですが、父が懐かしがるのが、あの時にあの娘を嫁としてもらっていれば、僕の人生は大幅に迅速に変わっていただろう・・・って。よくもいけしゃあしゃあとそういうことを、のたまえるものよ?とは横に置いてあげましょう。父は91歳なのです。最初、教員として、樺島に赴任して〔赤紙来る前〕、そこで学校の用務員室を下宿先にした父。地元網元が、毎日せっせと新鮮な魚を届けてくれて、食べるものに困らないどころか、こんな、新しい獲れたての魚にあやかることが出来るとは・・・感謝してもしきれない幸運に驚きます。そして、うちの娘をもらってくれないか?という話まで出て・・・。父は当時を回想して、もっと、楽しい人生が別にあったのでは??と自分の空想に羽を付けて、しゃべっている訳ですが、その心の奥底のジェラシーをキャロは知るだけに複雑至極な気持ちになるのです。でもこのままか?というとそうではないことも未来予知ですでに知っている。なぜなら、神は平等だからです。努力しても必ずしも救われない?そういう題名の本も本屋に沢山ありますが、キャロは、青少年にこう言います。努力を台無しにする人にはなるな!と。父の成果は必ず現れるし、例え、今父が南無阿弥陀仏を唱えていなくとも、それは現れる。神は、いつも、見ておられるからです。どんより曇った日のあとには、必ず太陽を、ずっと曇りならまず疑わねば?人間の所業についてを。